一期一会
蓮ちゃん 蓮ちゃん
毎日、朝から晩まで耳にするそれは、俺にとって心地よく、あって当たり前なものだった。
「蓮ちゃん、お父さん転勤だって。だからあたしも転校する事になったの」
我が耳を疑うとはこの事だ。
あまりに急な出来事に、俺はの顔をただ見る事しか出来なかった。
「蓮ちゃん、聞いてる?」
「あぁ。聞こえている」
「もう、こうして蓮ちゃん家に遊びに来れなくなっちゃうね」
「そうだな…」
いわゆる幼馴染みであるは、縁側で足をプラプラさせている。
「そうか…」
誰に言うでもなく、俺はもう一度呟いた。
「明日も遊びにきていいかな?」
俺は少しだけ考えて「構わない」と返した。
一緒にいられる時間が限られるなら、少しでもと同じ時を共有したい。と思ったからだ。
「じゃあ、明日はお茶点ててね」
「砂糖は入れるなよ」
「ぶー。蓮ちゃんのケチんぼ」
「フッ。まだ子供だな」
「絶対砂糖入れた方がおいしいのに…」
俺達は『兄妹』でも『恋人』でもない、あえて『幼なじみ』という枠の中を選び、そこでこの関係を壊さないように一日一日を大切に過ごしてきた。
お互いが納得した答えだった。
「おばさん、こんにちは。おじゃましまーす。連ちゃん?」
「あぁ。準備は出来ている。先に行っててくれ」
「はぁーい」
お茶菓子を持って茶室の戸を開けると、が姿勢良くそこに座っている。
略式で茶を点てる間もは静かに手元を見ている。
「どうぞ」
茶碗を手に取り、一口、二口と口に運ぶ様を眺める。
「なかなか作法も一人前になったな」
まあね。と自慢げに胸を反らし「結構なお点前でした」と茶碗を戻す。
見れば眉間にシワが寄っている。
「苦いと言いたそうだな」
「んー。苦いもんは苦いよ〜」
そんなを見て笑う。
ふ、と。
もうこんな笑い合う事もなくなるのかと思うと胸が苦しくなる。
「蓮ちゃん」
「なんだ」
作法に逆らい、口直しのお菓子を頬張りながら、それは何事もないような口振りでは言った。
「あたしの一期一会は蓮ちゃんにはじめて会った日だよ」
昨日の引っ越しといい、今の発言といい、最近の俺はに振りまわされっ放しだ。
今もまた、返事が出来ないでいる俺に構わずは続ける。
「あたしが遠くに行っても、忘れないでね」
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から言い出した事だった。
「蓮ちゃんの気持ちは嬉しいけど…。今のまま、幼なじみじゃダメかな?」
あの日、俺は自分の気持ちを打ち明け、見事に玉砕した。
『幼馴染み』という枠を選んだのはだった。
今まで通り傍にいられるなら。とそれを受け入れ、俺の告白は始めから無かったものになった。
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『あたしの一期一会は蓮ちゃんにはじめて会った日だよ』
一体どういうつもりで言ったんだ?
いつもの事ながら、に関しては俺の計算も追いつかない。
それでも必死に頭を巡らせる。
あぁ。そうか。
『幼馴染み』という枠の中での一期一会。
俺はそう解釈した。
新学期。
は新しい土地で新しい生活を始めているだろう。
行き慣れた学校までの道程も、隣にが居るのと居ないのとでは見える風景も変わってしまう。
「蓮ちゃん」と呼ぶ声がないだけだというのに・・・。
桜は満開で今にもこぼれそうなのに、俺の心は大事なものを失くしてしまい、この穴を埋める事は容易くは出来なさそうだ。
「・・・」
返事などあるはずもないのは分かっている。
しかし、呼べば返事があるのではないかと試さずにはいられない。
「蓮ちゃん!!」
俺は幻影でも見ているんだろうか。
手を振りながらまっすぐ、こちらに走ってくるのは、今まさに俺の求めていた大事な『欠片』。
「?」
「蓮ちゃん。おはよう!」
「引越し・・・したんじゃなかったのか」
「うん。あたしだけこっちに残ったの。だって、蓮ちゃん置いて行けないじゃない?」
全く・・・。
の行動には計算が追いつかない。
俺は人目も気にせずを抱きしめる。
「なに?みんな見てるよ?蓮ちゃんってば」
「俺の一期一会はに想いを告げたあの日だぞ」
「・・・知ってるよ。あの日、嬉しかったんだから」
パズルのピースがぴったりはまった様に、俺の心は完全なものになる。
桜は満開だ。
Fin.